今回は、Netflixのオリジナル映画『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』を考察していきたいと思います。
この記事を読めば、
作品の元になった監督の経験
どんな作品なのか
タイトルの三つの解釈(意味・考察)
がわかります。
作品情報
16年ぶりに復帰”アリス・ウー監督”
- 台湾系アメリカ人(2世)の女性監督
- レズビアン
- LGBT映画『素顔を見つめて』で監督デビュー
- 16年ぶりの復活
『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』で監督・脚本を務めたのは、アリス・ウーです。
『素顔の私を見つめて』という2004年に公開された映画で監督デビューをしました。
この第1作は、中国系アメリカ人の女性監督によるLGBT映画で注目を集め、映画自体も高い評価を集めした。
しかし、母親の介護により映画界から一度離れることになります。
そして、16年ぶりの新作(16年かかった?)として、『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』(2020)を発表しました。
作品のもとになった個人的経験
この作品のもとになっているのは、監督自身の個人的な経験です。
ウー監督には白人男性の親友がいたが、その親友の彼女が二人の仲を警戒していくうちに、3人の関係が悪化していくという経験をした
と、Netflixjp公式アカウントの投稿(Instagram)で監督がことばにしています。
これは、全文が公開されているので、是非読んでほしいです。
監督は、このことを脚本にするにあたって、この経験が痛切すぎて物語にできなかったとも言っています。
そこで、文学作品や映画の言葉を引用しながら、「愛するとはどういうことか」を登場人物たちが自分たちそれを模索するような構成になったということです。
作品の評価は?
英語圏の映画批評集積サイトであるRotten Tomatoesによると、批評家の支持率は97%と高い評価を集めています!
映画解説
これは恋愛映画ではない
この映画は恋愛感情は描かれるものの、恋愛成就を描いた作品ではありません。
自分の言葉で「愛すること」を語ることの難しさを描いています。
文学作品や映画の言葉の引用で人生を語ることと、人を愛することは「異なる」ことをポールやエスターと関わることで学んでいきます。
映画のクライマックスの教会の礼拝のシーンでは、『新約聖書のコリント人への第一の手紙』(13章4節)の聖句が引用されますが、聖句の内容を否定して、
自分の言葉で「人を愛することはどういうことか」「自分とは何なのか」を語ろうとします。
カップル成立ではない部分に焦点を当てた、珍しい青春映画です。
考察:タイトルの三つの意味
冒頭で語られた意味
タイトルの1つ目の意味は、映画の冒頭、ボイスオーバー(画面に現れない話者)によって語られた、哲学者プラトンの『饗宴』で展開される「半身」のことです。
この論によると、人間はもともと完全球体であって、それが完全な姿でありすぎたために、神様によって2つに切り離されたとされています。
そして、完全な姿になるために「半身」を求めているとしています。
この『the half of it (原題)』というタイトルが意味しているのは、我々の完全でない「半身(=自分)」のことではないでしょうか。
しかし、主人公のエリーは「自分の片割れを求めすぎている」と否定しています。
誰もが他の自分を持っている
タイトルの2つ目の意味は、自分のアイデンティティや対人関係における「顔」と解釈することができると思いました。
人は、友人に見せている顔とは異なった姿を持っているわけだし、自分すら知らない顔があると思います。
恋愛は、自分を偽ることでもあり、自分も知らない自分に出会うことでもあります。
これらを象徴するのが、温泉のシーンです。
初めて主人王のエリーと、アスターがお互いのことを語り合うシーンでは、水面に彼女たちの顔が反射されてます。
副題に込められた意味
タイトルの最後の意味は、邦題のサブタイトル『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』のように、人生にはまだ半分があって、自分の知らない面白いことがこれからあるということです。
辛いことがあったり、「もう終わり」と考えてしまうことがありますが、「それも始まりに過ぎない」「面白いのはこれから」と、観客にメッセージを伝えていると感じました。
それだけでなく、ウー監督自身へのメッセージにも感じます。
最後まで記事を読んでくださりありがとうございます!
Netflixで見るものがなくなったそこの君!みてみては?