今回は、映画『トゥルー・グリット』(2010)を考察します。
この映画の一貫した重いテーマ
タイトルの意味
真の勇気の持ち主は一体誰なのか...
冒頭のメッセージの意味
がわかります。
上記の疑問を解決したい人は、是非最後まで記事を読んでみてください。
引用元:amazon.co.jp
映画考察
映画全体を貫くテーマ
この映画では「罪を犯した者は、必ずその報いを受ける」という重大なテーマが語られています。
14歳の主人公マティは、繰り返しこの「罪を犯した者は、必ずその報いを受ける」というセリフを口にしています。
罪を犯した者は、その代償を支払わなければなりません。
実際に、コグバーン(保安官)が片目を失っているのも、南北戦争で市民を殺した報いであることが語られていました。
主人公マティは、父を殺したチェイニーにその報いを受けさせるため、復讐を誓います(敵討ち)。
しかし、
チェイニーを追う途中で彼女も様々な代償を支払うことになっています。
映画では一貫して、「罪を犯した者は、必ずその報いを受ける」というテーマが語られています。
タイトル『トゥルー・グリット』の意味
グリット (grit) とは、
もともと「(機械などに入って害になる)小さな砂や石のことを指していました」。
そこから「(困難とかあってもくじけない)勇気、強さ、闘志」を意味するようにもなっていきました。
つまり、タイトルが意味しているのは「真の勇気」ということです。
真の勇気の持ち主は誰か
タイトルの意味は「真の勇気」ですが、
この映画において「真の勇気 (=TRUE GRIT)」の持ち主はいったい誰のことを指しているのでしょうか。
これは、マティ―のために、人のために行動した保安官のコグバーンだと思います。
物語のはじめ、保安官であるコグバーンは自分のことばかり語っていました。
自分の勇気ある行動や実績などをマティに話します。
確かに、コグバーンの銃の腕はすごいです。映画終盤に、4人の敵と戦う姿はかっこよすぎました。
しかし、まだトゥルー・グリットではありません。
彼が、トゥルー・グリットになるのは、映画のラスト、蛇にかまれて意識がもうろうとしているマティ―のために馬を走らせ、彼女の命を救おうとしたときです。
自分のためではなく、敵討ちでもなく、人のために動いたコグバーンは、「真の勇気」を発揮したと私は考察しました。
冒頭のメッセージの意味
映画の冒頭、『旧約聖書』の『箴言』の28章1節の言葉が引用されています。
悪しきものは、負うものもないのに逃げる
『旧約聖書』の『箴言』の28章1節
という言葉が、冒頭引用されていました。
この言葉の意味通り、この映画では追うものもないのに逃げる人が多く登場しています。
これは特に、チェイニーに当てはまります。
しかし、実はこの言葉には続きがあり、それが省略されています。
正しき人は、若獅子のように頼もしい
『旧約聖書』の『箴言』の28章1節
省略されている部分では、正しき人の頼もしさが語られています。
しかし、若獅子のように一貫した登場人物は出てきません。
彼女が大人になって、結婚しなかったのは、こぐバーン以上の頼もしい人物に出会わなかったから
だと考えられます。
この後半部分を省略したのは、彼女にとってコグバーン以上の頼もしい人がいなかったからではないでしょうか。
この映画はマティがあくまで主人公ではありますが、コグバーンとの恋の物語にも感じます。
引用元:amazon.co.jp